いつもより、丹念に時間をかけて初さんは私の髪をくしけずる。
ちょうど腰までの髪。まっすぐなのが結いやすくて良いと、初さんに誉められた髪。
今回は私の前に鏡があり、私はそこに映る初さんと言の葉を交わす。
「恐いですか?」
初さんがそう聞いた。
その声色が本音を言ってもいいと優しく言ってくれていたから遠慮なく本心を吐き出す私。
「恐いです、とても。何のとりえもなく、只偶然に選ばれてしまっただけの私が皆さんの上に立つことが。あのお二人の隣にいることが」
そうですね、と肯定してくれる初さん。
「私も恐いです。あのお二方が。私があの方々に出会ったのは姫様より前になりますが、姫様以上にあの方々を理解できていない気がします。私は、茶を淹れるのが上手いというだけで、姫様つきの侍女に取りたてられました」
「へ?」
それは初耳だった。
もっときちんとした理由があると思っていた私には拍子抜けだった。
そんな風に思ってしまうくらい、初さんの侍女姿は様になっていたのだ。
「今では、最高位を頂いて姫様の身の回り全てを仰せつかっておりますが、はじめは本当に拙かったものですよ。色々と軍師殿にも助けていただきました」
くすくすと初さんは鏡の向こうで笑われる。
「例え、牡丹餅のように頂いたものでも、いつかは相応しくなりましょう」
なるほど。
あまり昔話をしない初さんが昔の話を持ち出したわけが分かった。
ようするに。
「励ましてくださったんですね、ありがとうございます」
そういうことで。
また、私は彼女が好きになる。
「何の。私は一介の侍女に過ぎませんから」
「では、帰ってきたらお茶を淹れてくれませんか?宮城に取りたてられたという腕前なのでしょう?」
そうやって、私達は鏡向かいに笑いあった。
駕籠から丁重に降ろされた私を数千の目が追う。
これだけの人数なのに、音はといえば微かな衣擦れの音と、私の袖についた鈴の音のみ。
しゃん、しゃんと、神聖な感じのする音が鳴る。
己緒さん曰く、音には空間をつくる力があるのだそうだ。まぎれもなく、私の袖先の鈴は、場の色を透明にしていた。
透明な場。どこか懐かしいその空気に躊躇いなく足が動く。
桜流ではあまり取れない白石を贅沢に使った回廊を一回りして、着く社殿。
桜流の御社と人は呼ぶ。
この国が、セカイが始まった場所。五つに分断されるこの世界で唯一誰の場所でも無いところ。
この奥に、祭壇があると教えられた。
五つの国における、守姫のみが入ることのできる場所。そして、守姫が一生に一度だけ足を踏み入れる場所。
扉の前に、立つ。
扉の両脇には両目に黒いあて布をし、中が見えないようにした巫女さん達。
「入ります」
私の言葉に、すっと扉を開けてくれる。
「入りました」
後ろでぱたんと小さく扉の閉まった音を聞いてから、大きく息を吐き出した。
ここからは、私一人。
誰にも見られず、誰の助けも借りず。
最悪、裾を踏んづけて転んでも誰にも見られないので中での作法は教えてくれなかった。
どこまでもいい加減な人である。こんなんでよく国が持つな、とも思う。
でも、その良い加減さが敵を作りにくくしていると、初さんは言っていた。宮城の女官さん達の間では、熾さんは密やかな人気なのだとか。確かに、格好良い方だとは思うのだけれど。
「で、これがその剣、ですか」
一人呟いてみると実感が増した。
セカイのハジマリの場所に、今私は立っているのだ。
白銀の剣と建国の王と、創世の巫女が絆を結んだハジマリの場所。
そして、今から私のハジマリとなる場所。五津宮真白姫殿下の。
もう、この剣に触れてしまったら逃げられない。
今からでも遅くない、まだ逃げても良いと熾さんは言った。
選ぶのは貴方です、私はついていくだけですと己緒さんが言った。
お茶淹れて待ってますからと初さんが言った。
逃げてもいいと、道を作ってくれた人がいる。
前に進むのなら、手を貸してくれる人がいる。
いつも、傍で支えてくれる人がいる。
だから私は、逃げないことを決めた。
覚悟とか、そんな格好良いものではない。
只、ちょっとだけなら頑張って皆さんと、見てみたいと思ったから。
ーーーーーこのセカイを。
改めて祭壇に向き直る。
黄金の剣。千年も昔から、誰にも抜かれたことの無い剣がそこに刺さっていた。
どうせ抜けないと聞いているので呑気に鑑賞してみたり。
「あ、端っこ錆びてる」
よく見ると、柄に近い刃の部分がちょっと錆びてしまっている。それでもそれ以外に錆びは見あたらないから、流石宝具と言われるものだなと思う。
「もうちょっと手元で見てみよう・・・・・・」
手に取り、剣先まで見る。
・・・・・・・・・・・・。え。
「うそ・・・・・抜け、ちゃった」
手元に、剣がある。祭壇に、穴がある。
結論:私が抜きました。
「んなぁ」
やばいやばいやばい。
何がやばいかって?勿論これから後のことを聞いてないことですよ!
熾さんはどうせ抜けないからと教えてくれなかったのだ。
・・・・・・・まぁ、いいか。
そういうわけでのほほんと剣をぶらさげたまま出る。
観衆は居なくなっていた。伝統なのだとか。
意識が朦朧としてくる。
この後宮城に戻ってお披露目なので社殿から出るとすぐに熾さんが駆け寄ってきた。
私の右手を見て、血相を変える。でも私にはそれに微笑みかえす余力は無かった。
がくりと、膝から崩れる。
「!姫様!」
薄れ行く意識の中で熾さんの声が聞こえた。