ゆったりとした風が、私の頬をなでる。 なんだか心地よい。
桜流を象徴する柔らかな風。
何も揺らさず、何も壊さない風。
初さんが私の髪を結われる間 いつもそうやって私は窓を開けている。
鏡を前にしていないので、細かくは分からないけどあとどれくらいか、どのへんまで終わっているか分かる。
言葉はないけど何かを共有している感じ。
私はとてもこの感覚が好きだ。
事実上最高位の侍女さんを表す紫の帯をゆったりと締めた初さんは私つきの侍女さんということになってる。
柔らかな手つきに穏やかな笑み。
初さんは私にとって、桜流というセカイを具現化したような存在だ。
好きか嫌いかで言えば、断然好きの方。
私より、とても年上に思えるのだけれど、三つしか年の違わない方。
しばらくして、その初さんの手が止まった。
準備完了。
部屋の隅に置かれた鏡を見つめると、上質な衣に身を包み化粧を施された姫君が見つめ返してくる。
「いかがでしょう?」
儀礼的にかしこまる初さん。
「いつもながら、良いお手並みです」
答えるのは、五津宮真白姫殿下と称される私だったーーーーー。
いつものように執務室まで行くと、そこにはすでに己緒さんがいた。
生真面目に、筆を動かしておられる紅い背中。
高い位置できっちりと結われた髪がこの方の几帳面さを表している。
「己緒さん?」 初さんは部屋に残してきたので、ここにいるのは私と己緒さんのみ。
なのにちゃんと礼をとられる。
「おはようございます、姫様」
胸の前で手を組み合わせ、軽く頭を下げる略礼を返す。
「おはようございます、己緒さん。お早いですね」
「明日は式典ですから」
「熱心なことです。・・・・・・熾さんのお姿が見えないのですが」
後ろ手に扉を閉め、円卓につく。
場所は己緒さんの真隣。
「姉さんでしたら、書庫の仮眠室です。昨日は徹夜だったそうですから」
珍しい。
己緒さんならともかく熾さんが徹夜だなんて。
「珍しいでしょう?あの姉さんが徹夜だなんて」
己緒さんも同意見のようで、くすりと笑う。
だけど、すぐにこの方らしい真面目な顔をなさる。
「しかし姫様。それだけ明日の祭典は大事なのです。くれぐれもお「ばっか己緒、姫様緊張させてどーすんだっての」
座っている私達よりも高いところからの声。
その口調と声は紛れもなく熾さんだ。
「姉さん、寝てなくてもよろしいんですか?」
「お前等とは体力が違うっての。なめんな」
「熾さん、おはようございます」
ん、と短く返事して、熾さんはどどんと私達二人の丁度正面の位置に座られた。
ごしごしと目ろこする姿はとても眠そうだ。
「熾さん、眠いですか?」
「もっちろん」
勿論だとか。
それでも髪や着物に乱れがないところは流石だった。
基本的にこのお二人はとても優雅で上品だ。
熾さんはわざと崩している感じだけど、やはり着物とか色々なところに良いところのお嬢様な雰囲気がする。
どこかの貴族の出なのかもしれない。
私はそうやって、何も聞かされていない二人の過去に思いを馳せる。
「ところで姉さん、姫様の演説の草案はできましたか?」
「おうよ」
あれ?明日式典だって聞いたような。
で、そのときの演説の草案が今日ってーーーーーーーー。
私はいっきに青ざめる。
「ええーっ!大丈夫なんですか、熾さん己緒さんっ」
「俺が考えたんだ、物凄いできだぜい」
「いえですね、そういうことではなくて」
私が今日のうちに覚えられるかが問題なんですって。
にやにやと熾さんはそれはもう楽しそうに笑われるので最後の希望、己緒さんに目で助けを求める。
「大丈夫ですよ、姫様。短いものです。短いだけに言葉を絞るのが難しかっただけでございますから」
「んん。式典のちょっと前に聞いても覚えれるくらいだ。元々、式典の後は軽い挨拶だけだからな」
「そうなんですか・・・・・・」
物凄くほっとするお話だった。
「俺らが俺らの姫様を大変な目に合わすわけがないだろうが」
「そうですよ。長い演説の場合は、一月前から猛特訓いたしますから」
それはそれで恐いような気がしたけれど、そう言ってくれるお二人の心遣いが嬉しかったので私は笑った。
後から思うと、それが私達が一番穏やかだった時だった。